信州の鎌倉 古塔めぐりコース-所要時間:3時間
コース:上田駅→上田城址→生島足島神社→前山寺(重要文化財三重塔)→龍光院→中禅寺→別所温泉→北向観音→安楽寺(国宝三重塔)→常楽寺→別所温泉(逆コースもできます)
※上記コースに大法寺(国宝三重塔)は約1時間追加となります。
※修那羅石仏は約1.5~2時間追加となります。
※その他見学場所として、信濃国分寺、無言館、デッサン館、塩野神社、野倉夫婦道祖神等ございますのでご希望によりお申し付けください。
ジャンボタクシー 9人乗り 34,800円
普通車 4人乗り 24,600円
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上田駅
移動時間 - 約3分
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上田城址
上田城は長野県上田市二の丸(旧・信濃国小県郡上田)にあった日本の城で、現在残っている城は、仙石忠政によって寛永年間に再建築城されたものです。
現在は旧二の丸内が上田城跡公園になっており、毎年花見の季節になると、多くの市民や観光客で賑わう。また、敷地内には上田市民会館(平成26年(2014年)閉館)、野球場、市立博物館、招魂社などが置かれており、本丸跡には眞田神社(真田神社)があります。境内には古井戸があり、「城外への抜け穴になっていた」との伝説がある。三の丸の藩主居館跡には、松平氏時代の屋敷門と堀が残されています。
移動時間 - 約17分
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生島足島神社
生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神といいます。
『延喜式』神名帳では、宮中の神祇官西院で祀られる神々23座のうちに「生島神・足島神」の記載があり、朝廷とつながりの深い神々であることが知られています。
本社は、池に浮かぶ小島の上に鎮座する「池心の宮」という古代的形態を採り、本社社殿は昭和16年造営の権現造で、北面して鎮座し、摂社諏訪神社(下の宮)と正対します。本社は、諏方神社に対して「上の宮」と称され、両社の間には「神橋」と呼ばれる橋がかかるが、普段の一般参拝者は渡ることができず、諏訪神が本社に遷座する時のみ開かれます。そのほか、本社と諏訪神社全体を取り囲む四方には、諏訪系の神社特有の御柱が建てられています。
移動時間 - 約9分
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前山寺(重要文化財三重塔)
前山寺(ぜんさんじ)は、長野県上田市にある真言宗智山派の寺院。山号は獨股山又は独鈷山。本尊は大日如来。独鈷山(1,266メートル)の山麓にあり、塩田城の鬼門に位置します。寺名は「ぜんざんじ」と呼ばれることもあるが、正式には「ぜんさんじ」と読みます。
三重塔は国の重要文化財です。和様・禅宗様の折衷様式。建立年代は不明だが、様式から室町時代と推定されています。三間三重で高さ19.5メートル、屋根は杮葺きであり、また窓や扉、廻縁、勾欄はないが、長い胴貫が四方に突き出し調和させていることから、「未完成の完成の塔」と呼ばれています。
移動時間 - 約4分
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龍光院
塩田北条氏の菩提寺。格式ある黒門と樹齢600年のケヤキが見事です。鐘楼の棟には北条氏の紋である寺紋「三ツ鱗」が飾られています。
移動時間 - 約5分
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中禅寺
中禅寺は、長野県上田市前山にある真言宗智山派の寺院。平安時代末期から鎌倉時代初期頃の建立とされる薬師堂は重要文化財に指定されています。
鎌倉初期の創建とされ「方三間宝形作り」という様式で建築されています。
移動時間 - 約11分
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別所温泉
別所温泉は、長野県上田市にある温泉です。標高570mの高地にある信州最古の温泉で、日本武尊が7か所に温泉を開き「七苦離の温泉」と名付けたという伝説から「七久里の湯」とも呼ばれています。
共同浴場(外湯)を中心に栄え、現在も3つの共同浴場「大湯」・「大師湯」・「石湯」が存在します。
温泉街は大湯を中心とする「大湯地区」(別所温泉駅から徒歩7~8分程度)と北向観音周辺の「院内地区」(別所温泉駅から徒歩15分程度)に分かれているが、相互の距離は近く、10分足らずで行き来でき、大湯は木曾義仲、大師湯は円仁(慈覚大師)、石湯は真田幸村ゆかりの湯(後述)として知られています。
移動時間 - 約3分
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北向観音
北向観音は、長野県上田市の別所温泉にある天台宗の寺院。
北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来します。これは「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれています。
また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われています。
観音堂に隣接する温泉薬師瑠璃殿は火災の後、文化6年(1809年)に地元の薬師講により再建されました。
愛染堂の近くに縁結びの霊木として崇められている愛染かつらの巨木があります。(樹高22m)
移動時間 - 約3分
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安楽寺(国宝三重塔)
安楽寺は長野県上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院。山号を崇福山と称され、院号は護国院。
開山は樵谷惟仙本尊は釈迦如来。国宝の八角三重塔があること、また長野県で最古の禅寺であることで知られています。
境内奥の山腹に建ち、昭和27年3月29日に松本城とともに、長野県内の建造物として最初の国宝指定を受けました。
全高(頂上から礎石上端まで)18.75メートル。この塔は日本に現存する唯一の八角塔であるとともに、全体が禅宗様で造られた仏塔としても稀有の存在です。
移動時間 - 約7分
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常楽寺
常楽寺は北向観音の本坊であり、ご本尊は『妙観察智弥陀如来(みょうかんざっちみだにょらい)』。
常楽寺は北向観音堂が建立された天長二年(825年)、三楽寺(※)の一つとして建立されました。その後、正応五年(1292年)四月、信乃国(信濃国)塩田別所常楽寺で書写されたと記述のある「十不二門文心解)」が金沢文庫に遺されており、
また、本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、弘長二年(1262年)の刻銘のある石造多宝塔が保存されていて、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっています。
移動時間 - 約4分
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別所温泉
別所温泉は、長野県上田市にある温泉です。標高570mの高地にある信州最古の温泉で、日本武尊が7か所に温泉を開き「七苦離の温泉」と名付けたという伝説から「七久里の湯」とも呼ばれています。
共同浴場(外湯)を中心に栄え、現在も3つの共同浴場「大湯」・「大師湯」・「石湯」が存在します。
温泉街は大湯を中心とする「大湯地区」(別所温泉駅から徒歩7~8分程度)と北向観音周辺の「院内地区」(別所温泉駅から徒歩15分程度)に分かれているが、相互の距離は近く、10分足らずで行き来でき、大湯は木曾義仲、大師湯は円仁(慈覚大師)、石湯は真田幸村ゆかりの湯(後述)として知られています。
真田歴史コース-所要時間:2.5時間
コース:上田駅→上田城址→柳町保命水→真田歴史館(お屋敷)→長谷寺→上田駅
※上記コースに海野宿、信濃国分寺は約1時間の追加となります。
ジャンボタクシー 9人乗り 29,000円
普通車 4人乗り 20,500円
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上田駅
移動時間 - 約3分
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上田城址
上田城は長野県上田市二の丸(旧・信濃国小県郡上田)にあった日本の城で、現在残っている城は、仙石忠政によって寛永年間に再建築城されたものです。
現在は旧二の丸内が上田城跡公園になっており、毎年花見の季節になると、多くの市民や観光客で賑わう。また、敷地内には上田市民会館(平成26年(2014年)閉館)、野球場、市立博物館、招魂社などが置かれており、本丸跡には眞田神社(真田神社)があります。境内には古井戸があり、「城外への抜け穴になっていた」との伝説がある。三の丸の藩主居館跡には、松平氏時代の屋敷門と堀が残されています。
移動時間 - 約8分
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柳町保命水
保命水は明治14年(1881)に海禅寺の境内から湧き出る清水を木管で引き込んだのが始まりです。
当初は町の北側と南側に石材を四角形に組んだ井戸を設置し、さらにその間に蛇口を2箇所設けて日常の生活水や非常用水として利用しました。昭和に入り上下水道が完備されるまでは、柳町住民の生活水であり北国街道を利用する人達の喉を潤しました。
移動時間 - 約18分
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真田歴史館(お屋敷)
武田二十四将として活躍した真田幸隆をはじめとする真田一族の歴史を古文書や武具等の豊富な資料で紹介しています。館内の展示は、年代に沿って配置されており、観覧していくうちに真田氏の活躍の様子をわかりやすく理解することができます。
移動時間 - 約42分
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長谷寺
長谷寺は、長野県上田市にある曹洞宗の寺院です。
天文16年(1547年)、真田幸隆が真田本城(松尾城)内の種月庵跡地に伝為晃運(晃運字伝)を招聘して創建されました。
寺は慶長5年(1600年)上田合戦に巻き込まれて焼失し、元和8年(1622年)には真田氏の松代(現長野市)移転と共に、長谷寺の6世住持が松代に移り、新たに長国寺を開山し長谷寺は長国寺の末寺となりました。
寛保2年(1742年)、長谷寺は土砂災害に巻き込まれ、宝暦7年(1757年)には再び火災で焼失します。明治23年(1890年)にも火災に遭い、古い建物は残されておらず、現本堂は昭和53年(1978年)に再建されました。
移動時間 - 約45分
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上田駅
東部町歴史コース-所要時間:2.5時間
コース:上田駅→海野宿→雷電生家→布引観音→小諸駅
ジャンボタクシー 9人乗り 29,000円
普通車 4人乗り 20,500円
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上田駅
移動時間 - 約17分
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海野宿
海野宿は、長野県東御市本海野にあり、江戸時代における北国街道の宿場の呼称です。現在も通りの両側に約100棟の家が連なる歴史的な町並みを形成しており、「日本の道100選」のひとつにも選ばれています。
平安・鎌倉時代の海野氏の領地として栄えた城下町で、江戸時代になってから北国街道の宿場町として開設されていました。
現在は東御市本海野の市道田中・西海野線の一部にあり、延長650 m、幅10 mの旧北国街道の両側には、旅籠屋造り、蚕室造り、茅葺屋根など当時使用された約100棟の歴史的な建物が残っています。
移動時間 - 約13分
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雷電生家
生家とは呼ばれるが、実際には雷電が大関時代に建てた家で、屋内に稽古土俵、さらに稽古の様子を見学できるように二階座敷などがあります。
地元につたわる話では、恩人である上原源五右衛門に遠慮して、彼の邸宅よりひとまわりこぶりに建てたといわれています。
その後関家の納屋として使われていたが、昭和に入ってから復元され、1984年から一般公開が開始されました。
ここには雷電直筆とされる「諸国相撲控帳(雷電日記)」「萬御用覚帳」の原本の写しなども保存されています。
移動時間 - 約13分
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布引観音
寺伝によれば、奈良時代の神亀元年(724年)に行基が開き、聖徳太子が作ったとされる聖観音を祀ったと伝えられています。
戦国時代の天文17年(1548年)武田信玄が東信地方に進攻し楽巌寺入道雅方・布下仁兵衛雅朝を攻略した際に焼亡しました。
永禄元年(1558年)に望月城主・望月左衛門佐信雅によって再建されましたが、江戸時代中期の享保8年(1723年)に再度、野火のため焼亡しました。
江戸時代後期に小諸藩主牧野康明によって、現存する堂宇の大半が整備されます。
移動時間 - 約9分